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筑豊に行ってみました

kage

2013/05/28 (Tue)

今更ゴールデンウイークのことですが、やっぱり書きたいことがあるのでお付き合いください。

毎年、この時期、我が家はけっこうすることがあって、ゆったり旅行などできません。
30鉢ほどの蘭をサンルームから外に出したり、株分けなどして植え替えたり、
早生のタマネギやジャガイモの収穫、夏野菜の植え付け、ハーブの乾燥など・・・。
日頃、滞りがちな家の中の掃除や衣類の虫干などもこの時期の年中行事です。

ところが今年は、夫が「どこかいこうか~」と言い出しました。
上記のことがあるから海外旅行とかは無理、「う~ん、人が多いところはイヤだな。」
と答えるとしばらく考えてから「筑豊(ちくほう)は?」と提案してきました。
「筑豊か~。行ってみたい。」ということで我が家としては珍しく、1か月も前から予定が決まり、
ホテルも1泊だけですが予約しました。

「連休はどこか行かれますか?」との問いに「筑豊」と答えると決まって「なんで筑豊?」とか
「何か特別のことがあるのですか?」との反応が返ってきました。
「それどこ?」と全く見当をつけられない人も・・・

「なんにもないよ。なんにもないから行きたいなと思って。」と筑豊の人には失礼な返事ですね。


筑豊地方は福岡県の東南部に位置し、かつては炭鉱で栄えたところです。
ここで掘り出された石炭は明治時代には日本の近代化を支え、そして戦後の復興と高度成長を
支えてきました。
ところが1962年(昭和37年)に原油輸入が自由化され、日本のエネルギーの主役の座を
石油に奪われて、石炭の産出量は低下の一途、日本中の炭抗が閉山を余儀なくされていきました。

筑豊も石炭とともに栄枯盛衰を経験した地域です。
そんな歴史をたどったところを見てみたい、雰囲気を感じてみたい・・・

私たちの青春時代のカリスマ的作家、五木寛之の「青春の門」の第一部(筑豊編)の舞台でもあり・・
最近(といっても10年も前)の話題では嘉穂劇場が豪雨で被災した後、名だたる芸能人たちの
募金活動によって復元され、そうまでして復元したいと思わせる劇場も見てみたい・・・

また2年前には山本作兵衛の炭抗の記録画がユネスコによって世界記憶遺産として登録されました。
同じ日本人でありながらユネスコが発掘してくれるまでその存在を知らなかったなんて、
ぜひ現物を見て記憶に残したいと思っていました。

福岡空港からは筑豊一の都市、飯塚市までは車で1時間ほどでしょうか。
緩やかに登りの道が続き、標高の高い場所へ向かっているのがわかりました。

まずは、ネットで調べた、観光スポット、旧伊藤伝右衛門邸へ。
伊藤伝右衛門は、貧しい生まれながら、筑豊の御三家といわれた麻生(副総理のご実家)、安川、
貝島に続いて炭鉱を起こし富を築いたいわゆる成金といわれた人で、代議士にもなりました。
52歳の時に後妻として大正天皇と血縁のあった27歳の美女、柳原燁子(あきこ・のちに白蓮)
をめとり、彼女のために建てた豪邸です。
でも、10年で彼女は失踪し、大きなスキャンダルとなりました。

話すと長くなるので興味がある方はご自分で白蓮の生涯等、お調べください。→ココ

さて、ここを案内してくれた地元のボランティアのおばさん。
一部屋一部屋、一つ一つの調度品や内装など、いかに贅を尽くしたものか説明しながら、
そのありがたさがわからなかった白蓮のことを本当に憎々しげに語り、当時マスコミで
ひどいことも言われた伝右衛門のことをいかに優しく寛大であったかと何度も何度も話して
くれました。おかげで私たちのグループは後ろのグループに次々に先を越されてしまうほどです。

おばさん、伝右衛門は筑豊の誇り、この家は筑豊の宝なんだよね。
そして、おばさんは筑豊のことが大好きなんだ。

そういえば、学生の頃、同級生と先輩に筑豊出身の人がいて、寂れかけた町の自慢話はしなかった
けれど、筑豊を愛している気持ちは静かに伝わってきていた・・・
だから、私もいつかは行ってみたいと思っていたんだよね・・・

伝右衛門邸の門を出ると、すぐ横に四宮(しのみや)の成金饅頭が売ってありました。
人の顔ほどの大きさのどら焼きみたいなお菓子です。
炭抗で働く人の中には伝右衛門の話なんかをしながら、この饅頭を一人でペロリなんて人もいたの
だろうと想像します。仕事で疲れた体を癒す、ささやかな贅沢。

そういえば先輩は帰省のたびに買ってきてくれたな・・・初めて見たときはその大きさに
びっくりして・・・ああ、懐かしい。二人では食べ切れそうにないけれど、買って帰ろうね。

次は、当初の目的の地のひとつ、嘉穂劇場です。



ブログを初めて1年が経ちました

kage

2013/05/16 (Thu)

今年のゴールデンウィークはいろいろとあって、なかなかPCの前に座る時間がありませんでした。
記事にしたい行事や出来事が数多くあったのですが、時が過ぎれば、自分の中の旬も過ぎるものです。
2週間も更新しないままでいました。


その間、一番書かなきゃと思っていたのはブログを始めて1年が経ったということです。


日頃の思いを現役のお母さん達にどうやったら伝えることができるのかと考えたときに思いついた
のがブログでした。

何にも知らないで始めたブログ、それまでは他の人のブログもほとんど目にしたことが無く、
不安いっぱい。用語もわからないし、仕組みもわからない。

訪問者の足跡が残されると、エッ、何、なんであなたが私のブログを見に来たの?
なんて思ったりして、そうか、誰でも見られるのだから当たり前・・・、
あっ、見てもらうために書いているんだった・・・と自分で笑ってみたり・・・

そのうちにコメントやご質問などをいただくようになり、更新の励みとなりました。
だから、心をこめてお返事するように努めました。

自分の方からコメントするときはできるだけ良いことだけをとも思いましたが、
子育てのことで困っておられるようだとついついおせっかいなことを言ってしまって、
気を悪くされた方もいるような気がします。

でも、そんな私のコメントも受け入れてくださって、なんか、心が触れ合っているような気がする
お友達(勝手に思っています)もできてきました。それから、ジャンルに関わらず尊敬する方も
います。そして、その方々のブログにも癒されたり、励まされたり、学ばされたり・・・

また、何人かの方にはリンクもしていただいています。ありがとうございます。
私の方からもリンクしたいのですが、皆さんの更新のスピードに読ませていただく時間が追いつき
ません。リンクするからにはしっかり読んでからと思っていて・・・お許しください。

お母さんが書かれた記事を読ませてもらうと、診療の中だけでは見えにくい、今の時代の母子の
生活のありようやお母さんの本音などが読み取れて、とても参考になります。
私の子育て時代の当たり前と今の当たり前の違いを理解したうえでお母さん達と話をしないと
いつまでも埋められない溝があるからです。


ただ、ときどき辛くなる時もあります。

本当にお困りのことを書かれた記事やコメントを目にした時、何にもしてあげられないということ
です。一般論を言ってみても、やっぱりその子どもさん、そのお母さん、周りの環境すべて
ひっくるめてつぶさに見ないと個別の案件は何も解決しないからです。

だから、PCの前でただただ、無力感に浸っていることがあります。一言の励ましのことばさえ
書くことができないことがあるのです。


たびたび書いていますが、やめたら楽かなと思うこともあります。主な理由は今回もそうでしたが
更新の時間が無いということです。PCの前に座る前にせめて30分ほど、誰からも邪魔されずに
構想を練る時間が要ります。また、調べておかなくてはいけないことがあるときもあります。

日々の診療に加えて、様々なプロジェクトやデューティを抱え、プライベートでもいろいろ責任が
増えていく年齢です(本当は引退してもいい年齢かも)。
家にいる時もいろいろな連絡が入ってきて・・・そのあとでまたブログのことの続きと思っても、
また、一から考えないとうまくいきません。

記憶が消えやすいお年頃になってきたというのもあるでしょうか。

そんな愚痴の多い私ですが、連休中に山本作兵衛さんの絵を見る機会があり、くじけそうな心を
鼓舞してもらいました。

そのことについてはまた書きたいと思います。

当前のことながら、この1年間で私も夫も一つ歳をとりました。そして2歳5月だった孫が
3歳と5月になりました。
孫に負けないように、また実りの多いブログ2年目をつづりたいと思います。

一つでも二つでも、何か子育てのお役に立つことがあれば嬉しいです。



あなたはだれがすきなの?

kage

2013/05/02 (Thu)

誰もが知っている『ぞうさん』の歌、まど・みちおさんという方が1948年に作詞し、
1953年に團伊玖磨さんによって曲が付けられました。
歌い継がれる童謡や唱歌がどんどん少なくなっている時代ですが、この歌は60年間、
世代を超えて誰もが口ずさむことのできる歌として輝きを失っていません。

私の孫もことばの発達が少し遅れていましたが、初めて口にした歌がこの歌でした。

『ぞうさん』の人気の秘密は何でしょうか?
メロディーも歌詞も簡単で子どもが歌いやすいから?それとも皆、象が好きだから?

そういうこともあるかも知れないけれど、私は、皆、「かあさんがすき」なぞうさんの気持ちに
共感するから、そしてわが子の中にもその気持ちの芽生えを見つけたりするから、
自然と歌ってあげたくなるなのだろうと思います。

ぞうさんは、「お鼻が長いのね」と他と違うことを指摘されても「かあさんもながいのよ」と
お母さんに似ていることを誇らしげに歌います。可愛がられている子どもは自信を持っている
ので、他と違うねと言われてもそのことでくよくよすること等ありません。
素直に「そうよ」と答えることができるのです。

「誰が好きなの?」と聞かれれば「かあさんがすきなのよ」と何の疑いもなく答えます。
この歌詞から、私たちは母さん象もぞうさんのことをさぞかし可愛がっているのだろうと
容易に想像できます。

訓練に通い始めた子どもさんが、私にもなつき、お母さんから離れて訓練室に入れるようになると
私も、ぞうさんがされたのと同じ質問をしてみます。
その答えの中にはお母さんへの問診だけでは得られない貴重な情報が含まれているからです。

3歳位までの小さい子どもさんには「誰が好きなの」という質問は難しいこともあるので答えやすい
質問にしてパズルなどの静かな遊びの中でさりげなく聞いてみます。

「〇〇」ちゃん、ママ好き?」→「うん」→「へー、ママ優しいんだ。」→「うん、やさしい。」
「パパとママはどっちが好き?」→「ママ。」  こんな会話になれば母子関係はひとまず安心。

「パパとママはどっちが好き?」に対し「パパ」と答えれば、すかさず「ママは?」と聞いてみます。
そんな子どもさんは大抵、「ママきらい、おこるもん。」と答えます。

このような場合は母子関係の修復が必要です。「ふ~ん、ママが怒らなかったらママが好きなの?」
→「うん」→「〇〇ちゃんはやっぱりママが好きなんだ~」→「うん」

お母さんに対しては「〇〇ちゃんが落ち着かないから、叱ることも多いですか?」とお母さんが置かれ
ている状況に理解を示した後、叱らない方が問題の解決につながることを理解していただき、
具体的な声掛けの仕方などをお伝えします。

そして「〇〇ちゃん、ママが一番好きと言っていましたよ」と子どもさんの本心を伝えてあげます。

最近のイクメンブーム、パパが好きと言われて喜んでおられるお父さんも多いようですが、
ママ好きといえない子どもさんとお母さんとの間(あいだ)を取り持ってあげることが必要です。
ぞうさんの歌を歌う子どもさんの姿を幸せな顔で見守るお父さん、こんな家族像が理想です。

3歳、4歳となると次第に自分を取り巻く人間関係を理解するようになります。誰が好きかの問い
にも、本心はお母さんが一番好きなんだけれど「パパとママ」と答えるようになり、それは、
自分にとって両親がかけがえのないものだという認識が進んでいることを示しています。
そして両親の次に大切なのは、兄弟姉妹、そして祖父母と答えることが一般的です。
ご同居の方をみんな好きというのも良いことだと思います。

でもこんな年齢になっても「ママだけ」が好きという場合や、なんでも「ママが一緒じゃなきゃいやだ」
という場合には何か問題があると考えます。発達全般の遅れや、広汎性発達障害、それから
母子関係の問題(お母さんが十分に足りていない)も念頭に入れて訓練の次のスッテプに入っていきます。

このことでお困りでも、無理矢理お母さんから引き離したり、お母さんに寄って来るのを拒否したり
すると逆効果です。

また、「パパ、きらい」とか「おばあちゃん、きらい」とかいう場合はご夫婦の関係や嫁姑の関係が
うまくいっていないときが多いです。
お母さんが嫌いな人のことを子どもが好きになるわけはないのです。

その時、私は、時間を取ってお母さんの不満を聞いたり、不満の解決に向けて助言をしたり、
時にはお父さんやおばあちゃんも訓練室に呼んで家族が笑顔で過ごせるように助言します。

子どもさんのことばのことで来院されているのですが、取り巻く環境が幸せでないと子どもさんの
幸せもないと思って、時におせっかいをやいている言語聴覚士です。