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山本作兵衛コレクション

kage

2013/07/17 (Wed)

「まだ筑豊のこと書いているの?まるで『○○のできる法律○○所』みたいだね。」と某局のバラエティ
番組が法律と名乗りながらなかなか法律の話にならないのを引き合いに出して夫が笑います。

「子育てブログのくせにいつになったら子育ての話をするのと思っているんでしょ。いいの。
やっと本題にたどり着きそうなんだから・・・ほっといて・・・」

それよりも更新できない日々が続くのが悲しい毎日です。


さて、世の中は富士山が世界文化遺産として登録されてお祝いムードです。ちょうど山開きも
重なって大賑わい。地元の人だけではなくてやっぱり日本人は富士山が大好き、そして誇りに
思っているのですね。

実は筑豊、三池をはじめとする九州・山口の炭鉱跡も「九州・山口の近代化産業遺産群」として、
世界文化遺産の登録を目指していたようです。こちらは残念ながら2009年に選考漏れとなってし
まったのですがその時に参考資料として提出された山本作兵衛の記録画が高く評価されたといいます。

このことから田川市と福岡県立大学が記録画と関連資料をまとめユネスコに申請し、
「山本作兵衛コレクション」が2011年5月に世界記憶遺産として登録されました。

そのことがニュースで流されるまでは私は作兵衛のこともその人が遺した仕事のことも知らずにいて、
少々びっくりしました。私たち夫婦は、絵を見ることも大好きだし、歴史を学ぶことも好きな方です。
でも、本当に何も知らなかったのです。「見たいよね。」「見に行かないとだめだよね。」

そして2年経ってそれがやっと実現しました。

田川市石炭・歴史博物館の二階に所狭しとそれは展示してありました。697点の遺産群のうち
627点をこの博物館が所有しています。

山本作兵衛(1892~1984)は福岡県は筑豊の炭鉱労働者でした。7、8歳の頃より坑内に
入り、炭車押しなど両親の仕事を手伝っていたようです。そして14歳の頃から本格的に坑夫として
働き始めました。

昭和33年、66歳で坑夫を引退後、炭鉱の事務所の夜警として働き始めたころ、周囲の炭鉱が次々
に閉山されるようになり、写真などほとんど撮られることの無かった明治、大正、昭和初期の炭鉱の
様子を後世に残したいと、それまでの日記やメモをもとに膨大な記録画作成に着手したようです。

色など分からない暗い坑道の中を初めは墨で描いていたようですが、見る人が分かりやすいように
という周りからの強い勧めで後は色鮮やかな水彩画にしたようです。

坑内で石炭を掘る男とそれを運び出す女や子ども、時代時代で使われた道具や機械、坑道の外での
人々の生活、けんかや遊び、賃金のことや事務所で交わされたであろう会話やそして山の人々の
気質まで子どもの時から好きだったという絵に加えて緻密な説明・・・

私は彼の仕事に圧倒されながら息を呑んで一枚一枚見入りました。
ああ、でも時間が無い、少し足早になろうとしたときに他の人たちに説明をしておられた
ボランティアの方の声が耳に入りました。

「作兵衛は当時の義務教育4年間を受けただけで、中等、高等教育は一切受けていなかった
のですよ。20歳の頃、一時的に炭鉱を離れ他の仕事をしたときに独学で漢和辞典を
1ページ1ページ学んでしっかりとした読み書きができるようになって、日記や手帳に書いたことが
これらの記録画のベースになっているのです。」


私は、後ろから頭をガーンと殴られたような気分になりました。

人は先人の経験と英知を受け継ぎ、さらに自らの経験と知恵を付け加えて次世代に残すことができる、
つまり文化を持つことを許された動物です。

彼は幼いころから炭坑に入り、初等教育の4年間さえもしっかり受けることができたかどうか定か
ではありません。でも大人になって、一字一字自分で覚えて、炭鉱という今にも消えてしまいそうな
存在を後世の記憶にまで残そうと膨大な時間と労力を注ぎました。

私はそのような人々によって礎(いしずえ)を築いてもらった日本のまさに高度成長期に生まれ、
育ち、大学まで行きました。というか、行かせてもらいました。
その当時は国公立大学の授業料など無いに等しい額で、つまり税金で勉強させてもらい、しかも
日本育英会の奨学金も使わせてもらいました。

私もそろそろ引退(定年退職はありません)を意識する年齢となり、自分が持っているものを
伝えることができているかと振り返ると・・・

言語聴覚士としての知識、技術、経験・・・
先輩母親としての子育ての心・・・
そしてコミュニケーションとは何かという私自身のテーマ・・・

伝えたいことはたくさんあるはず、でも職場でも非常勤で講師をする言語聴覚士の養成校でも、
地域で講演をしても論文を書いても、そしてこのブログでも、中途半端にエネルギーが切れて
しまいます。ウ~ン・・・

作兵衛さんは66歳から記録画を描き始めました。
私はもう少し若い、もう少し何か伝えることができるはず。そして自分もそれを欲しているのに・・・


博物館の建物を出て、まぶしさに目を細めながら見上げると、そこには炭坑節に唄われた、お月様も
煙たがる高い高い二本の煙突が、明治41年の築造の時のそのままの姿でそびえていました。


帰り道、「筑豊良かったね~。また来たいな~。」と私は夫の顔を見上げました。
夫はそれには返事をせず、筑豊出身の井上陽水さんの『少年時代』を気持ちよさそうに歌い続けて
いました。(陽水さんもこの風景にピッタリだね・・・)


道は、筑豊の石炭が運び込まれていた旧八幡製鉄所のあった北九州市へと、唯々まっすぐに
延びていました。     
                                 
                                         (完)
山本作兵衛コレクション
井上陽水 少年時代