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父が教えてくれたこと

kage

2015/05/05 (Tue)


もう少し父のことを書きとめておきたいと思います。


子どもの頃の私にとって、父は怖い人、絶対的な存在でした。
母も子どもたちも大きな声で怒鳴られ、震え上がりました。

ちゃぶ台返しも時にあり、いわゆる昭和の父親像そのままだったような気がするのですが、
不思議なことに母にも私たちにも手をあげるようなことは一度もなく、
それは彼なりの信念だったようです(子どもに手をあげないことも私が見習った父の背中です。
今の時代は手をあげないというのが当たり前のことなのですが・・・)。

そんなに怖いはずの父なのに、私はおんぶや肩車をせがんだり、
父がどこか行くというとすかさず「 ワタシモ イク 」と言ってついていきました。

親が子を叱ると嫌われると思い、子どもに遠慮されている方がいますが、
どうも関係ないみたいですね・・・


また、親が厳しいと子どもが親の顔色をうかがうようになるという人がいますが、
私の場合はそうではなかったような気がします。

「人に迷惑を掛けるな」「責任を果たせ」「人のことを悪く言うな」
父に繰り返し諭されたことです。

4~5人の友達と横に広がって歩いているとちょうど通りかかった父に
「他の人が歩きにくかろう」と注意され、

子ども会の話し合いの席でまたまた友達と何かケラケラ笑っていると家に帰ってから、
「話し合いの邪魔になることが分からんのか」と雷、「お前たちの子ども会だろう」と説教、

遊びに来た友達とふざけ合って遊んでいるとき、思わず「バッカじゃないの」と私が言うのを
隣の部屋で聞いていた父、友達が帰った後に「馬鹿という言葉を使うな」と諭され、

その都度、父さんがいつも言っていることはこの事か~と納得し、
でもまた、同じような間違いをしてしかられ、

こんなことを繰り返しながら、徐々に自分のベースとなる価値観が形成されていったのだと
思います。



昨秋、父が入院し、容態の変化によって転院し、そこが療養型の病棟で、看護師の手が薄く、
重篤な呼吸器疾患を持病として持っている父にとっては過酷な環境でした。

私は、自分が病棟に泊まり込んで看病するか、いっそのこと父を自宅に連れて帰り、
父の病状を良く知っているかかりつけ医に訪問診療を頼んだ方がいいのかも知れない等と
思いましたが、

2つ前と3つ前の記事で書いた、職場の混乱がまだ完全には収まっていない状況の中で、
退職やしばらくの休暇さえも申し出ることはどうしてもできませんでした。
というか、自分がやはり仕事からは離れられないのです。



父が死んだとき、一緒に住んでいたわけではないので、さして喪失感なるものはありませんでした。
でも、苦しんでいる父を目の当たりにしながら、十分なことがしてあげれなかったことが
悲しくて、悔しくて、

一部始終の事情を知っている夫の前で、嗚咽が止まりませんでした。



そんな私に、夫はこう慰めました。

「仕事を休んだり、やめたりできないのは、あなたが rainwoman 父さんの子どもだからだよ。
rainwoman 父さんの遺伝子をもらい、rainwoman 父さんから育てられたから仕方ないんだよ。
だからいいんだよ。それが rainwoman 父さんの望んでいたことなんだから。」


私は母にも同じ話をして、「父さんを助けてやれなくてごめんね。」と謝りました。

「父さんは、rainwoman は仕事をするために生まれてきた子だといつもいってたよ。
rainwoman の働きぶりを嬉しそうにしてねぇ・・・。」

認知症が進んできた母ですが、しっかりとした口調で、私に優しいまなざしを
向け続けました。