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生きるということの意味を知ったとき

kage

2015/06/20 (Sat)

前回の話の続き、私の思い出話です。

姉が亡くなって、2年ぐらいして、私たちは郊外に建てられた戸建ての団地に移り住みます。
その間、弟が生まれ、後に妹も生まれ5人の家族となりました。


小学校2年生の時に、そこで私は不思議な体験をするのです。


病弱な私は、ときどき体調を壊しては学校を休むことがありましたが、その日は朝から高熱で、
タクシーで病院に連れて行ってもらい、帰ってきてからもぐったりと床に就いていました。


夢うつつの中・・・・ なんてきれいな場所、
柔らかい緑色の草原にたくさんの花が咲き乱れ、その中に私は佇んでいました。

すると向こうの方から、

「rainwoman、おいで、rainwoman、、、」と呼ぶ声がします。その声はだんだん大きくなって、

そちらの方を見ると姉が手招きをして私を呼んでいます。

「ああ、お姉ちゃん、こんなところにいたんだ、、」

体は羽のように軽く、ふんわりふんわり、姉の方に駆け寄ろうとしたときに、
また私を呼ぶ声がしました。今度は後ろから、

rainwoman、rainwoman、rainwoman~~|」

私がはっと目を開けると母が叫びながら私の体を必死で揺すっていました。

「お母ちゃん」
「rainwoman 大丈夫?」

と母は私を抱きかかえようとしてびっくりします。
布団が水のような便で一杯汚れていたのです。

母に言わせると私は1歳前にはおむつが外れ、
それ以来一度も失禁をしたことが無いということです。

体調が悪いといってもただ事ではないと思ったようです。
そこにもってきて、私が

「今お姉ちゃんが私を迎えに来ていたの。」

と言ったから母のうろたえようは大変なもので、汚れた布団はそのままで、
病院に行くためのタクシーを呼びました。

「病院は朝行ったよ。」というと、
「また行かなきゃダメなの」と母は声を押し殺すように言いました。

前、父はタクシーに良く乗る人だったと書きましたが、父が贅沢だった分、我が家の家計は苦しく、
母は重い荷物があっても遠い市場やバス停からも歩きました。
それなのに今日は私のために2往復もタクシーを使ってくれました。

「私は、お姉ちゃんについていったらダメだったんだ。」
「私は生きていなきゃダメなんだ。」


父母によるとひまわりのように明るく元気だった姉に比べて、体が弱く引っ込み思案だった私、


でも、あの時、お坊さんがしっかり生きなさいって言ったもんね。
人は死んだらいけないんだ、死んだら周りを悲しませるんだとはっきり認識できた瞬間でした。

今こうやって振り返ってみると、あの僧侶のことばは、
子を無くして悲しみの底にある両親のためにもその両親の子として生きなさい。
つまり、子の成長を喜んだり心配したりする親の役割を全うできるようにあなたが
子としての役割を演じなさいという意味もあったのかなと思ったりもします。



自然に囲まれた場所で、病弱だった私も野原を駆け回り、木によじ登り、
沢でずぶぬれになりながら、少しずつ、元気になっていきました。


そこは丘に囲まれたような地形で、町の明かりが届かず、本当に夜は暗くて星が美しい場所でした。


私は縁側に腰掛けて星を見るのが好きでした。
そして「どの星がお姉ちゃんの星かな~?ウン、きっとあれだ~」なんて勝手に決めながら
手を合わせ、「家族が病気をせずに、元気に過ごせますように・・・」と祈ったりしました。


それ以来、そのような夢は一度も見たことがありません。

でもその後、テレビで臨死体験を特集したようなものがあると風景がそっくりだな~と思います。
人が一番美しく安らげる場所として心に浮かべる風景は、似ているのでしょうか?

非科学的なこと等、あまり信じない私は、どのようなメカニズムでこのようなことが起こるのかと
考えてみたりもしますが、臨死体験などという言葉も聞いたこともないような頃に見たあの風景は
今でも不思議な気持ちと一緒に思い出します。



子どもにどう「死」を伝えるのか

kage

2015/06/16 (Tue)

妹さんを交通事故で亡くされた方から、3歳のお子様にそのことをどのように伝えたらよいのか
というご質問を頂きました。



子どもの死生観の発達については私自身、しっかりとした勉強もしていないし、
臨床上の知見もありません。

だからあまり確たることは言えないのですが、私もちょうど3歳の時、
身近な人の死を経験したのでそのことを書きたいと思います。

私が3歳4か月の頃、病弱な私とは違い、元気いっぱいの2歳上の姉が少し具合が悪くて
3~4日床に伏していました。小児科で診てもらってもすっきりせず、
その朝は、特に調子が悪かったのでしょう。
父も仕事を休んで、母と一緒にまた小児科の診療所に連れて行きました。

私のことは近所の人に頼んでいたのでしょう。
私は家の前のちょっとした広場で近所の子どもたちと遊んで3人の帰りを待っていました。

狭い路地から、父が姉を抱いて帰ってきました。
そして一言、 表情を変えることなく「死んだ・・・。」と私に告げたのです。

それが私の人生一番目の記憶のシーンです。その場の風景、父の表情、姉の姿・・・

でも、その中に母の姿は見つかりません(もちろん一緒に帰ってきていたと思いますが)。

そして軒を連ねた近所の人たちが集まってきて何かざわつき始めました。

私は虫が死んだり、金魚が死んだりしたのを見た経験はあったでしょうから、「死んだ」という
言葉の意味は十分に知っていたとは思うのですが、人が死ぬということについては
何のイメージも待たず、だから、いつも一緒に遊んでいたはずの姉ですが、
その姉の死を告げられても、悲しいとか寂しいとか怖いとか何も強く思った記憶はありません。

ただ、呆然として成り行きを見ていたといったところでしょうか。
それとも記憶が無いだけ?定かではありません。


お葬式は自宅でしました。
狭い狭い家でしたから、きっと家の中も一杯で路地にも人があふれていたと思います。
そんな中、3人の僧侶が来られて、葬儀が行われました。

私が縁側に座っていると経を読み終わった3人の中のひとりのお坊さんが
そばに来てしゃがんで話をしてくれました。

「あなたが rainwoman ちゃんですか。
お姉さんの分まで勉強して、しっかり生きていくのですよ。」
というようなことを言われたと思います。それが私の人生2番目の記憶のシーンです。

どうしてそのお坊さんがわざわざ私のそばに来てそんなことを言ってくれたのか、
私は不思議に思い、返事もおそらくはできないままで、
後でそのことを母に告げたような気がします。

「あのね、一番きれいな着物(袈裟という言葉をしりませんでした。)を着た人から言われたの。」


後の父母の思い出話を聞くと母の落胆ぶりは相当なもののようでしたが、
私の記憶には母の乱れた様子など何も残っていません。

ただ、しばらくたったときに、母から
「お姉ちゃんは星になったんだよ。」と聞かされた記憶がおります。

きっと母は自分でもそう信じようとしていたのだと思います。


「へぇ~、人は死んだら星になるんだ~。」



ご質問の答えになったとも思えませんが、3歳位だと人の死の意味を真から理解するのは
難しいと思います。あまり神経質にならずに、そして、あまり詳しい理由なども話さずに
ただ亡くなったことを告げてあげるといいと思います。
特に事故だと、傷などが目に入らないようにとの配慮は要るでしょう。

今回、私の父の死についても子どもと孫達は(全員成人しています)大泣きをしました。
いろいろな雑用が山ほどある私たち子どもに比べ、孫たちはより純粋に祖父の死を悲しみ
ショックを受けた様子でしたが、6歳、5歳のひ孫は少し寂しい、
4歳、2歳、1歳の3人のひ孫たちはよく意味が解っていない様子で泣くこともありませんでした。

それぞれの親が安らかになった死顔を見せてやりながらもう
会えなくなることを教えてあげていました。

私の孫、5歳は、「おじいちゃん、いつもお小遣いくれていたのに、もうくれないの?
本当にそれでいいの?」と、横たわった曾祖父にやさしく問いかけていました。

その姿に泣いていた大人たちも少しほっとした気持ちになりました。     ( つづく )