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嘉穂劇場見学

kage

2013/06/08 (Sat)

連休中の筑豊旅行の続きです。

大学在学時代、筑豊出身の友達と先輩は筑豊のことをとても愛していたのに筑豊のことを
あまり自慢しませんでした。

映画やテレビドラマで紹介される炭鉱のイメージは男臭く荒々しい、
ご本人たちいわく「ガラが悪い、喧嘩っ早い・・・」
しかも、相次ぐ閉山で地域自体が不景気で失業者にあふれているとのことでした。
高度成長は終焉を迎えていましたが、国民のほとんどが中流意識を持っていた中で、
筑豊は既に長い不況の中にあったのです。

でも、彼らは英彦山(ひこさん)と嘉穂(かほ)劇場のことを話すときはいつも笑顔でした。

「英彦山はいいよ。sunちゃん(私の学生時代のニックネーム)も夏休みに英彦山に登りに
おいでよ。今、メンバーが5人位集まったよ。」と誘われたのに登らなかったな~。
修験道の山と聞き、怖じ気づいていたのでしょうか?

「嘉穂劇場はいいよ。」
こっちには「行ってみたいな~。」と答えていたのに、ここにも行きませんでした。
やっぱり学生の私には遠い場所だったのでしょう。

平成15年7月の豪雨で遠賀川(おんががわ・一級河川)が氾濫、
嘉穂劇場も大きなダメージを受けました。
それがニュースで流されたとき、私はショックを受けました。行きたいといってからずいぶんと
時間が経っているのに、とうとう行けなかった、いや、行かなかったことに・・・

そのまま取り壊されるだろうと思っていましたが、すぐにびっくり嬉しいニュース、
津川雅彦さんの呼びかけに、明石家さんまさんや中村玉緒さん、中村勘九郎さん等、多くの
芸能人が呼応し、チャリティイベントやカンパで集まった浄財で修復されることになったのです。

それからまた10年・・・行かないまま・・・本当に尻の重い人間です。


嘉穂劇場は旧伊藤伝右衛門邸と同様、飯塚市にあります。
バスセンターがある市の中心通りを抜けて、おそらくは飲み屋街の一番奥、遠賀川に突き当たる
ところに創業昭和6年(1931年)の木造2階建ての芝居小屋はたっています。今も現役です。

講演の無い日は300円で内部の見学が自由にできるということで、劇場そのものに興味を
持って訪ねた私たちはある意味ラッキー、ゆったりと隅々まで見ることができました。

中に通されてその美しさに私は息をのみました。華美な装飾があるわけではないのです・・・
ただただシンプル、直線だけで構成された人に媚びない大空間。

間口10間(18,2m)奥行9間(16.4m)の1階は畳張り、一本の柱さえありません。
木造でこの大空間ということはとても良い木材と腕の良い職人が集まらないとできなかった
でしょう。当時の炭鉱町の隆盛がしのばれるようです。

床は緩やかに勾配し、後ろの席の人が見やすくなっています。4~6人の人が座る枡(ます)に
仕切られていて、その周りの桟敷席や2階席も合わせると1200人もの人が入るということでした。


舞台に登ってみると意外と広く、円形に回り舞台が切られていました。
今でも10人の人力で動く舞台・・80年たってもまだ回る舞台・・反りやたわみもありません。

係りの人は建物の内部に案内してくれただけで、私たちを入れて数組いた見学者を寡黙に見守って
おられましたが、いろいろ質問するととてもうれしそうに、でも静かにそして詳しく説明を
してくれました。

かつて筑豊には大小50ほどの芝居小屋があったがテレビの普及や相次ぐ炭抗の閉山で次々に
姿を消していったこと

嘉穂劇場は伊藤英子を代表とする家族経営であったが、経営状態は極めて厳しく、耐震基準を満たす
工事もできないので閉めてしまいたかった。豪雨で建物が被災した時、これでやめることができると
ホッとしたほど・・・。

しかし集まった浄財で復元され、ついでに耐震工事までできて、マスコミに取り上げられた
おかげで全国から観劇客が来るようになって、経営も安定したこと等・・・

飯塚市の有形文化財に登録されていたので、壊れた建物の木材を一本一本外して洗い、
乾燥させて再利用するという修復方法がとられたとのこと、
基礎強化のために入れられた新しい木材は「平成補強」と刻印されているとのこと・・・
そして、復元後の平成18年、国の有形文化財として登録されました。

係りの人が「奈落に降りることもできますよ」と教えてくれて、私たちは舞台下手(しもて)奥から
奈落の底に降りて行きました。回り舞台の下にはそれを回すための押し棒が付いていて、
それを横目で見ながら前方へ進むと客席の下は腰をかがめて通らなければならない高さ、
古い木材の間に真新しい木材、一本一本「平成補強」の刻印がなされていました。

さらに進むと、これまでに上演された演目のポスターのレプリカが貼ってありました。親たちから
聞いたことのある銀幕のスターの名前や私たちにとっても懐かしい俳優や歌手の写真等を発見し、
最近のものではワハハ本舗公演の時の久本雅美さんや柴田理恵さんのサインなども見つけて・・・

あ~楽しかった。奈落から出て花道を(心の中は)役者気分で舞台に戻り、最後に枡席や桟敷席に
座って観劇している自分たちを妄想、満席の劇場はどんな雰囲気なんだろう・・・
炭鉱の全盛期の頃はどんな賑わいだったのだろう・・・。

5月25日には桂文枝襲名披露(終わってからの情報で申し訳ないです。)、9月には
全国座長大会がありますよと係りの人に勧められ、ああ、人が一杯の劇場の雰囲気も味わって
みたいと思いましたが・・・おそらくはまた何年も来ないかも知れない・・・

私たちは後ろ髪をひかれる思いで劇場を後にしました。

筑豊のことをいろいろと教えてくれた先輩のMさんと級友のYさん、
私、やっと嘉穂劇場に行ってきましたよ。本当に心を揺さぶる素敵な劇場でした。  

嘉穂劇場ホームページ


この記事へのコメント

kage

変に思われるかもしれませんが、、

rainwomanさん、こんにちは。思い入れのある土地で憧れの舞台を見れて良かったですね。

私は物心ついたころには既に炭鉱は歴史上のものになっていました。しかし、変に思われるかもしれませんが、イギリスの映画やドラマが好きなので、その気質とか想像出来ます。泥臭くてスマートではないけど、人情味に溢れていて、正直に一生懸命生きている人々。私たちの現在があるのも、そういった人々の血と汗と涙が積み重なって出来たのかもしれないですね。日本の歴史のことももっと学ばなくちゃいかんなと思います。

Posted at 15:15:33 2013/06/11 by yuccalina

この記事へのコメント

kage

yuccalinaさんへ

> rainwomanさん、こんにちは。思い入れのある土地で憧れの舞台を見れて良かったですね。

こんにちは。憧れというのか、私が好きだと思っていた人々が「いい。」と思っているものの良さを私も共有してみたいといった気持ちです。

> 変に思われるかもしれませんが、イギリスの映画やドラマが好きなので、その気質とか想像出来ます。泥臭くてスマートではないけど、人情味に溢れていて、正直に一生懸命生きている人々。

私も、どこの映画だったかわからないのですが、炭坑の落盤事故で閉じ込められた人々の映画を見たことがありました。数年前のチリの事故はまるでその再現のようでしたが、日本中の炭抗でも同じようなことが何度も起こっていたと思います。生死と背中合わせに日々の中で形成されていった人々の心、風土というものを感じ取ってきたいと思っていました。

> 私たちの現在があるのも、そういった人々の血と汗と涙が積み重なって出来たのかもしれないですね。日本の歴史のことももっと学ばなくちゃいかんなと思います。

今回のシリーズで一番言いたいことがそのあたりにあります。書き表せるかどうかわかりませんが、また、ご訪問ください。

いつもありがとうございます。

Posted at 09:18:40 2013/06/12 by rainwoman

この記事へのコメント

kage

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます

Posted at 21:49:28 2013/06/21 by

この記事へのコメント

kage

Re: タイトルなし

鍵付きでのご連絡ありがとうございます。

Posted at 08:30:49 2013/06/25 by rainwoman

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kage


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