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世界記憶遺産に出会いたい

kage

2013/06/24 (Mon)

筑豊旅行の続きです。

嘉穂劇場の次の目的地に急ごうとする夫に私は待ったを掛けました。
「炭坑跡を見に行こうよ。」
伊藤伝衛門邸の案内の人に、3年ほど前に坑口が見つかった炭坑跡があると聞いていたのです。
夫は「宿泊は北九州市だから、急がないと目的のものをしっかり見られないよ。」といいました。
「私は炭鉱の町を感じ取りにここに来たの。せっかく本物の跡を見せてもらえるというのに・・・」
と主張を取り下げませんでした。

「もう、仕方ないなあ・・・」

幸いなことに原口鉱業大門坑の跡は飯塚市から次の目的地、田川市に向かう道中にありました。

頂いた簡単な地図と手書きの小さな看板を頼りに小高い丘の上に登って行きました。
その中腹にテントが張ってあり、私たちは車を降りてみました。その日は午前中にウォーキングの
イベントがあったらしく、スタッフの人たちが片づけをしているところでした。

イベントの様子はココ→ 

残っていたお茶やお菓子をチャッカリ頂きながら大門坑のことについて説明していただき、
また、パンフレットもいただきました。
この日でなかったら、どこを見ればよいのかも解らなかったかもしれません。ラッキーでした。

大門坑は明治29年ごろ開坑したようですが、戦後本格的に採掘された比較的新しい炭坑で、
昭和32年に原口鉱業によって買収され、昭和39年に閉鎖されています。
閉山直後の炭坑施設群がほぼそのまま残っていたので、地元の人たちは産業遺跡として保存しようと
運動しているそうです。

親切な人々に別れを告げ、緩やかな斜面を登って坑口あたりに行ってみました。
その時間帯はもう誰もいなくて私たちの貸切状態。静寂の中にむき出しのコンクリートの造作物。

主坑道、副坑道、選炭機、貯炭場、積込場などの跡が並び、
さらに少し離れて巻揚機の台座が高くそびえていました。

炭鉱営業中はどんな喧騒があったのでしょうか?

怒声が飛び交い、笑い声が響き、坑内の音は漏れ聞こえていたのでしょうか?
昭和30年代だと、トラックの音や排ガスもすごかっただろうし・・・思いを巡らす私たちを、
すぐそばに積み上げられているボタの山が見守っているようでした。



さあ、最終目的地へ急がなければ・・・

今回の旅の最終目的地は田川市石炭・歴史博物館です。
平成筑豊鉄道の田川伊田駅のほど近く丘の上にそのレンガ色の建物はありました。

急いでいるくせに、「まずはコーヒー」と売店兼喫茶室に入ると、これも懐かしい黒ダイヤという
お菓子が売られていました。そうです。これも時々先輩のお土産でした。
あんこをダイヤ型に固めたきんつばを巨大化したようなお菓子です。
石炭はお金を産み出す価値あるものとして『黒いダイヤ』と呼ばれていたことをもじった命名です。
帰りに買おうと思っていたのに残念なことに買いそびれてしまいました。

さて、本筋にもどり、一階の展示室に。

田川伊田坑の模型や採掘現場のジオラマ、道具、機械類、運搬手段などを歴史の流れとともに
わかりやすく展示されていました。狭い坑道に這いつくばるようにして石炭を掘る裸の男性、
掘り出した石炭を運ぶやはり上半身裸の女性、暗くて暑くて、そしていつ落盤や有毒ガスが
発生するかわからない危険と背中合わせの中のきつい仕事・・・

戦後は機械化も進んだとは思いますが、こうして掘り出された石炭を使って日本は産業を近代化し、
戦後の奇跡的な高度成長を成し遂げたのです。
筑豊の石炭も遠賀川からの船や鉄道を使って日本中に運ばれ、また、かつては日本一の生産高を
誇った八幡製鉄所(北九州市)の高炉の燃料として欠かせないものでした。

石炭は人々の生活の中にも根付いていました。私の通った小学校は各教室に大きな石炭ストーブが
ありました。私の家は昭和40年代後半まで石炭で風呂を沸かしていました。そんなに身近だった
石炭でしたが、当時はそこにある人々の汗や涙の存在に気が付く由(よし)もありませんでした。


そう、記憶になかった記憶に出会うために、私たちはユネスコの世界記憶遺産に登録された
「山本作兵衛コレクション」が展示されている建物の二階へと上って行きました。

                           


                                      つづく・・・


この記事へのコメント

kage

練炭すとおぶ

私も幼稚園くらいの頃、家に練炭のストーブがあった記憶があります。学校もコークスのストーブで、毎日日直さんが休み時間にストーブの蓋を開けて、コークスを追加するのですが、皆それを楽しみにしていたようです。今思えば、結構危険と隣り合わせなことも、学校で沢山経験してきたんだなと思いました。記事の内容とちょっと外れてしまいましたが、、。

Posted at 08:18:37 2013/06/27 by yuccalina

この記事へのコメント

kage

yuccalinaさんへ

yuccalinaさん、こんばんは。
いつもコメントありがとうございます。

> 今思えば、結構危険と隣り合わせなことも、学校で沢山経験してきたんだなと思いました。記事の内容とちょっと外れてしまいましたが、、。

きっと私の頃はまだアルミサッシなるものが無くて、結構すきま風が入って、一酸化炭素中毒の心配が少なかったのかなと思います。また、家庭でも炭火の火鉢や練炭の火鉢が使われており、子ども達も注意されなくてもストーブに近寄りすぎたり、そのそばでふざけ合ったりすることは無く、事故のことを聞いたことはありませんでした。

危険なものを子ども達から遠ざければ遠ざけるほど、子どもたちの危険予知能力は低下していくような気がします。

私の職場でも扇風機を一つ追加するだけでもスタッフの目の届くところ、子どもたちの手の届かないところと気を使っています。

Posted at 21:40:25 2013/06/27 by rainwoman

この記事へのコメント

kage

先日は当ブログにコメントを書いて下さって有り難うございました。
漸く返信を書けました。

Posted at 01:01:48 2013/07/04 by フープ

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kage


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