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母との別れ

kage

2016/08/30 (Tue)

またまた、長いこと更新が途切れていました。

以前書いたように、昨年1月に父を亡くし、一年前の今頃はちょうど初盆を終えて
ホッとしたころでした。

そのころから、母の様子が、少しずつ変わってきました。
胆管がんという大変な病気を乗り越えて、5年。

もう大丈夫かなと思っていた矢先の再発でした。

父の入院が長くなった時から、老人ホームで生活をしていましたが、
秋口より入退院を繰り返し、12月に帰らぬ人となりました。

仲良しの夫婦、時々、「逝くときは『セエノッ』て声かけて一緒にね。」
なんて、冗談で言っていましたが、本当に同じ年に逝ってしまいました。

そして、今年は母の初盆でした。




どちらかというと父っ子だった私ですが、闘病中の付き添いや介護の中で
思い出したり、再確認したりした母のことをお話しさせていただきます。
 
我が家はいつも夫唱婦随でした。
わがままな父がこういえばこう、ああいえばああと母は従い続けました。
 
記憶の中の母は、限られた家計費をやりくりしながら、いつもせっせと体を動かしていました。
 
冷たい水を盥(たらい)に張っての洗濯、床に這いつくばってのぞうきんがけ、
予算と、父と子どもたちの好みを考えながらの食事の用意、時間があれば子どもたちの服を
縫ったり編んだり、そして内職をしたり、
 
そんなとき、私がそばに座ると、ボタンや糸を使った遊びを教えてくれ、
小学校に上がる頃になると、ぞうきんの縫い方や、簡単な編み物の仕方を教えてくれました。

幼い弟や妹がいてあまり甘やかしてもらった記憶はありませんが、
こんな陽だまりの中のひと時が私の幸せの記憶です。
 
また、病弱だった私が少し元気がないと、私のおでこに唇を当てて、
38度あるなどと見事に熱を言い当てました。
 

 
母の子育てはぶれず迷わず、けんか両成敗と決めたらけんか両成敗、
どんな理由があってもけんか両成敗、

私は悪くないと思っていても叱られるのはルール通りなわけで、
不条理だという気持ちは一つも持ちませんでした。
 


年をとってからは父と仲良く暮らしながら、孫やひ孫をとても可愛がり、
ここでも子育てのコツのようなものをたくさん見せてくれました。

 
私は今、子育てを支援するような仕事をしていますが、大学で学んだことや、
自分自身の経験の他に、
母の子育てから学んだものが仕事を支えてくれているような気がします。
 
母は若いころから、足の複雑骨折、脳梗塞、そしてその後遺症の失語症、胆石の手術、
腰椎の手術と大変なことがありましたが、その都度乗り越えてきました。
 
ところが79歳になろうとしたとき胆管がんと診断されました。
術後3年の生存率が30%を切る大変な病気です。

そうです。あの川島なお美さんの命を奪った病気です。


本人はみんなに迷惑を掛けたくないからこのままでと言いましたが、

私の夫の強い勧めで、その分野でよい成績を上げている病院で手術を受けることができ、
3年の化学療法を経て、5年を生き延びることができました。
 
 
晩年の母は、記憶力が少し落ちていましたが、

病院でも老人ホームでも周りの患者さんや入所の方への気配りを忘れず、
またスタッフの方々への感謝の言葉も忘れず。

若いころは思ったことをすぐに口に出してしまい、それが欠点でしたが、
その性格がかえって輝きとなり、皆さんから愛され、可愛がられていて、



その姿を見ている私達家族をも、とても暖かな気持ちにしてくれました。



毎日通った老人ホームへの道を車で走ると、

あの日々があったからこそ、


母から最後の子育てをしてもらえたような
幸せな気分がよみがえってくるのです。






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Posted at 16:45:20 2016/09/01 by

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